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自分は十分立派な『ジャニヲタ』だと2年前にやっと自覚した話。〜幼少期篇〜

 

自慢でも何でもなく、
私はよく「ジャニヲタ」っぽくないと言われる。
というかほぼ100%の確率で言われる。
ジャニヲタの友達もそうではない友達も、
皆口を揃えて言うのでそうなんだと思う。

し、現に自分自身もつい2年前くらいまで
自分がジャニヲタであることを
まったく自覚していなかった。
ジャニヲタの定義なんてないし、
文字通り自覚から始まるのだと思う。

 

自覚したきっかけは至って簡単。
社会人になってから
大学時代の後輩(ジャニヲタ)と
久しぶりに飲みに行き、
そこでその後輩から
「なな太さんがジャニーズ好きなのは知ってましたけど、ジャニヲタだなんて!うれしい!」
とニコニコしながら言われたからだ。
最近のライブやら舞台やらの話をしていたとき、
彼女は私がジャニヲタであると確信したらしい。

 

”ジャニーズが好き”
自分自身がそのくらいの感覚だったから、
周りにも当然そのくらいの感覚で
ジャニの話をしていたので、
その後輩の反応は正しい。

私ってジャニヲタなの?お?
まったくの無自覚であったため、
その疑惑の正誤を確かめるため、
過去を振り返ってみることにした。

 

まだ私が保育園児だった頃、
毎朝のように録画してある
SMAPの番組が流れていたのが
1番最初の記憶。
母も叔母2人もジャニーズが大好きだった。
とりわけ叔母2人はまだ結婚もしておらず若かったため、
ライブやコンサートにも足を運んでいた。

そう、ジャニヲタへの道は
もうすでに開かれていたのだ。
環境は万全な程整っていた。

 

小学生に上がり、
KinKi Kidsがデビューした。
母と叔母たちはそれはもうKinKi Kidsが大好きで、
車では必ずと言っていいほど
KinKi Kidsの曲が無限ループされていた。
基本的にイケメンと歌が上手い人に
とにかく目がない母たちにとって、
KinKi Kidsは最高の嗜好だったと思う。

 

自分が好きかもわからなかったが、
初めて行ったカラオケでは
小学校低学年にして「全部抱きしめて」を歌わせられたし、
初めて行ったディズニーランドのホテルでは
「硝子の少年」を踊らされた。
当時の写真が残っているので間違いない。

 

挙句叔母たちからは
「剛と光一どっちが好き?」
と暇さえあれば聞かれる始末だった。
小学校低学年の子どもに、
よくそんなこと毎日聞いたものだ。

 

それでもその環境のせいか、
自然とKinKi Kidsは好きになっていったように思う。
未だに「硝子の少年」は、
全世代入り混じっての
会社のカラオケ大会で
上司と友好関係を築く上で
一役かってくれているし、
何ならほぼフルで踊れてしまうため
盛り上げ役にされても苦労せずに済んでいる。
KinKi Kidsと母たちに感謝だ。

 

話は戻って、とある日。
突然ど早朝に起こされた幼い私は、
叔母2人に連れられて、
見たこともない大きい会場に連行された。
何もわからないまま座っていると、
突然照明が全て落ち、
次の瞬間目も開けられないくらい
眩しい光に包まれて、
テレビの向こう側の人たちが目の前に現れた。
そこはKinKi Kidsのコンサート会場だった。
終始状況が掴めず、
正直ほとんど記憶はない。
(ごめんなさい)
知ってる曲が流れると、
「これ知ってる〜♪」
と小躍りを始め、
知らない曲がが流れると、
死んだような目で一点を見つめていたと
高校生になって叔母たちに聞かされたときには
KinKi Kidsに心の中で土下座した。

 

そんな忘却の彼方にある
初めてのKinKi Kidsのコンサート。
唯一鮮明に覚えているのは、
花道がすぐ目の前という
今となっては神席でしかない席で、
歩いてくる剛さんに向かって
必死の形相の叔母たちに
「つよしって言いなさい!」
と強制されながら訳もわからず
「つおし〜〜〜」
と弱々しい声で叫んだことと、
それに気づいた剛さんが
ゆらゆら手を振ってくれたことだ。
子どもって特権をフル活用した
お手本のような手口である。
それでも叔母たちは宝くじが当たったかのごとく
大喜びしていたのでよしとしよう。
剛さん、ありがとう。

 

そんなこんなでいい大人になった今でも
KinKi Kidsはなんだか不思議と
懐かしい気持ちにさせられます。
その後小学校高学年になった私は、
当時ジャニーズJr.として
一世を風靡していた”ある人”に出会い、
そこからながーーーーーーい
ジャニヲタ人生をスタートさせますが、
それはまた別の記事で。